~見えない海の中で港の「寿命」を測る仕事~
休日に海釣りに出かけ、防波堤の縁(へり)から水面を覗き込んだ時。あるいは、フェリーに乗り込むタラップからふと下を見た時。コンクリートの岸壁や桟橋の下に、無数の「鉄の柱」が海の中から突き出ているのを見たことはないでしょうか。
専門用語では鋼管杭(こうかんぐい)や鋼矢板(こうやいた)などと呼ばれる、巨大な鉄のかたまりです。
ご存知の通り、海の水には塩分が含まれています。もし、車や自転車を毎日海風にさらし、海水をかけ続けたらどうなるでしょうか。あっという間に赤くサビて、ボロボロになってしまうはずです。鉄にとって、塩分と水分、そして波しぶきによって酸素が絶え間なく供給される海の環境は、極めて過酷な場所です。
それにもかかわらず、港の岸壁や巨大な桟橋は、何十年も倒れることなく、大型船の着岸や巨大クレーンの重みに耐え続けています。 一体なぜ、海の中の鉄は長持ちするのでしょうか。そして、何十年も過酷な環境に置かれた鉄は、実際のところ「どれくらい」減っているのでしょうか?
今回は、私たち株式会社SeaChallengeが日々行っている水中の点検調査の現場から、海の底で起きている驚きの事実をお届けします。
19年という歳月で、鉄はどれくらい削られるのか
いきなりですが、ここで一つクイズです。
毎日波に打たれ、潮に揉まれている海の中の鉄。これが「19年」という歳月を経たとき、表面から何ミリくらい削り取られていると思いますか?
「過酷な環境だから、数センチは細くなっているのでは?」
「手で触ったらボロボロと崩れ落ちるくらいサビているはず」
多くの方はそう想像するかもしれません。しかしここで、私たちが実際に海へ潜って調査したデータを基に、ある桟橋のケースをご紹介しましょう。
建造当時の古い設計図に記された、ある鋼鉄の杭(柱)の厚みは「25.00mm」でした。それから約19年が経過した後、当社の潜水士が機材を背負って海の底へと潜り、現在の厚みを精密に測定しました。その結果、計測された厚みの平均値は、なんと24.60mm。
19年以上もの間、容赦ない海水に浸かり続けていたにもかかわらず、鉄の柱が減った厚みはたったの「0.40mm」だったのです。
1年あたりに換算すると、約0.021mm。 日本人の髪の毛の平均的な太さが約0.08mmと言われていますから、なんと1年で「髪の毛の太さの4分の1」しか減っていないことになります。
「海の中なのに、思ったより全然減っていない!」 そう感じたのではないでしょうか。これこそが、日本の港湾インフラを強固に支える防食技術の賜物なのです。
なぜ海の中の鉄は長持ちするのか?~自己犠牲のテクノロジー~
鉄が海水の中でサビる現象は、単なる汚れではありません。鉄が海水に触れると、表面でごく小さな電池のような化学反応が起き、鉄が電気を放出しながら海水中に溶け出していきます。これが腐食のメカニズムです。
しかし、港湾施設には鉄を守るための強力な対策が施されています。
一つは、特殊な塗料や被覆材で鉄を覆い隠す技術です。国土交通省の基準においても、海面付近の「波しぶきがかかる場所(飛沫部)」などは最も腐食が激しい環境とされており、こうした物理的なバリアで手厚く保護されます。
そしてもう一つ、常に海の中に沈んでいる部分(海中・海底部)を守る最強の盾が「犠牲陽極(ぎせいようきょく)」と呼ばれる仕組みです。 原理は非常にシンプルです。鉄よりも「溶けやすい(イオンになりやすい)」性質を持つアルミニウムなどの金属ブロックを、あらかじめ鉄の柱にくっつけて水中に沈めておきます。すると、海水の中で電池の反応が起きたとき、本体の鉄の代わりに、このアルミニウムのブロックが優先的に溶け出してくれるのです。
自らを犠牲にして巨大な鉄の柱を守り抜く。19年でわずか0.40mmしか減らない驚異的な耐久性の背景には、文句ひとつ言わずに少しずつ「身代わり」となって溶け続けてくれた犠牲陽極の存在があるのです。
見えない海の底で「ミリ単位の世界」を測る潜水調査
しかし、身代わりとなって溶ける金属である以上、時間が経てばいつかは消耗して無くなってしまいます。もし防食の機能が失われれば、そこから一気に鉄の腐食が進んでしまいます。
国土交通省が定める「港湾の施設の点検診断ガイドライン」でも、施設の安全性を確保するために定期的な点検の重要性が明記されています。鉄の厚みが現在どうなっているのか、犠牲陽極はしっかり機能しているのかを、人の手と目で確認しなければなりません。 ここで最前線に立つのが、私たち株式会社SeaChallengeの潜水士たちです。
海の中での肉厚測定は、極めて緻密な作業です。海中の鉄の柱にはカキなどの貝類や海藻がびっしりと付着しているため、まずはこれらを専用の工具で丁寧に取り除く作業から始まります。
この際、サビや汚れだけを落とし、本体の鉄を一切傷つけないようにする繊細な技術が潜水士には求められます。
鉄の表面を綺麗に露出させたら、超音波を使って厚みを測る精密機器を押し当てます。波や潮の流れによって体が大きく揺さぶられる海中において、機器のセンサーを一定の力と角度で当て続けるのは至難の業です。潜水士たちは水の抵抗に耐えながら姿勢を固定し、正確な数値を記録していきます。
暗く濁った海の中で、一つ一つ丁寧に読み取られた「24.60mm」という100分の1ミリ単位の数字。この泥臭くも確かな数字の積み重ねが、巨大な港の未来を左右する極めて重要なデータとなるのです。
点検とは「壊れているか」ではなく「あと何年使えるか」を測る仕事
一般的に「点検」と聞くと、「どこか壊れて危険なところはないか?」という粗探しのようなイメージを持つかもしれません。 しかし、港湾構造物の点検における最大の目的は異なります。私たちの仕事は、「あと何年使えるか(残存寿命)」を測ることなのです。
港を支える鋼鉄の杭には、上の構造物を安全に支えるために最低限必要な厚み(限界肉厚)が計算によって定められています。 もし海に潜って精査した結果、「19年で0.40mmしか減っていない」という事実が判明すれば、過去の減少ペースから計算して「この先数十年は安全に使い続けることができる」という、未来への確かな太鼓判を押すことができます。
逆に、想定以上に厚みが減っている箇所が見つかったとしても、限界に達するよりずっと前の段階で「新しい犠牲陽極を追加しよう」「塗装をやり直そう」といった、計画的な補修工事(予防保全)を行うことができます。
数十年前に書かれた設計図の「過去の数字」と、潜水士が海中から持ち帰ってきた「現在の数字」。この二つを照らし合わせることで、初めて港の「未来」が見えてくるのです。
日本の海と未来を「測る」
国土交通省の統計資料によれば、日本の輸出入貨物の実に99.6%(重量ベース)は、海運つまり「港」を経由して運ばれています。 スーパーに並ぶ食料品も、私たちの生活に欠かせないエネルギー資源も、すべては港を通って私たちの元へやってきます。日本の社会と経済という巨大な大動脈は、海の中にひっそりと沈む無数の「鉄」によって根本から支えられているのです。
次に海辺を散歩して水面を覗き込んだ時や、フェリーから海を見下ろした時。水面から突き出た無骨な鉄の柱に、ほんの少しだけ思いを馳せてみてください。 そこには、自らを溶かして鉄を守り抜く健気なテクノロジーがあり、波の下でミリ単位の数値を測り続ける潜水士たちの姿があります。
株式会社SeaChallengeは、これからも海という現場の最前線で「測る」ことを通じ、日本の港湾インフラの寿命を延ばし、安全な未来を守り続けていきます。
【参考文献】
港湾の施設の点検診断ガイドライン
https://www.mlit.go.jp/kowan/kowan_tk5_000028.html
国土交通省 HPより
数字で見る港湾(日本の貿易と港湾の役割:99.6%の根拠)
https://www.mlit.go.jp/kowan/kowan_fr1_000004.html
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